・1963年広島県生まれ。岐阜県・大阪府・徳島県・兵庫県と移り住み、現在徳島県在住。書家・創作家

39歳の時,それまで勤めていた会社を退職し個人事業を始めるとほぼ同時に、それまで全く縁の無かった「精神世界」を題目にした書籍の出版・講演会の開催に関わる。

この時の経験が、「今を生きる」、「人は鏡となり自分を映す」、「すべては自分の中にある」、「人は繋がっている」等々、自分の中での確信となり、「直観」の大切さを知る。

2004年からこの「直観」を活かし、喜びを味わう、悲しみ・苦しみを癒す、元気の源となる「観じるままの言葉」を贈る「メッセンジャー」を業とするようになる。

現在は、「直観」を活かしたフリーランスのアートディレクター/グラフィックデザイナーとして活動。

各種店舗対応のDTP、ロゴ、パッケージ、グッズのアイデア&制作はもちろん、エディトリアルデザインやWebマスターとして、企業、個人問わずオリジナルなホームページ制作も行なっている。

「解りやすく、楽しく」をモットーに Illustrator、Photoshopの指導も行なっている。

●「空-くう」

目の前の物。 自分。 他人。
すべてに形、色・・・ 五感で感じられるものが在る。
ここにそのものの形が無くても親を感じる時があるではないか。
物を観て、感情や人を感じるじゃないか。
この感じ…。 目の前の物を、そのものの形でなく「空-くう」として観ているのじゃないか?
そのものの形から受ける物ではなく、そこには無いものを観じている自分。 その瞬間、目の前の物は形を無くす。
自分自身が「空-くう」にいなくても、あなたの周りの物はいま既に、すべて「空-くう」で居てくれているのです。
人にとっても、もう自分自身は「空-くう」に居るのだと気づくだけですね。

●「愛」と「空-くう」

特別でいて欲しい。これが愛の始まりか?
一目で好きになることもあるよね。カタチか声か仕草なのか?
傍に居るだけでうれしい時もあるよね。期待かやすらぎか空気なのか?
それは、考えた感情ではないね。
湧いてくる、観じてくる感情だ。
うまく言えないのが愛だよね。
愛に言葉は要らないって言うよね。
観じるるままだよね。
愛は盲目って言うよね。
これって、空のこころじゃないかな。
みんな、観じるままに「愛」しましょう。

●「人」と「空-くう」

人との関係。
人は人に支えられて生きている、とか
いや互いが支え合って生きてる、とか
自分自身が人を支えているんだ、とか
いろいろ、それらしきことを並べるが、ふと、観じたことがあります。
支えるでも、支えられているでも無く「ひとつに繋がっているんだ」と。
そう。
空を見てごらん。
空から糸が降りていて、その糸にひとりひとりがつながっていて、空を通じてみんなの気持ちが感じられ、空を通じてどこにでも行ける。
空の先を感じてごらん。
すべてがそこにとけ込める。遠い世界のお話じゃないよ。今、みんながここにいるんだよ。
「そら」はだから「くう」って呼ぶんだね。
空を見ていたら・・・ この身体を離れて、空の上からの景色が見れる気がした。 羽根なんかなくても、空に行ける気がした。
気持ちがよかった。

●「あるがまま」と「空-くう」

「あるがままでいる」ことは、とても素敵なことだ。
けど、「あるがまま」と「勘違いあるがまま」には注意したい。
心に概念や価値観を抱いたままでいて、「あるがまま(のつもり)」でいると、これは辛い思いするかも。
まずはやっぱり、心の雲(概念や価値観)を晴らすことが前提だな。
心の雲が曇っていると、人(人生・世間)ばかりか、自分の心の本性も曇って見えてしまうと思う。
流して、流して、というのは、思考が湧いてきても流して流して、追わない事だな。
ましてや、答えを求めないことだね。 答えを求めると、知らぬ間に無意識に、思考で答えを作っちゃいます。 空にある答えを聞けなくなっちゃいます。
答えを求めない。
質問しない。
観じるだけ。
なんの、勉強も要らないよ。 きっと、我々が想像するよりも、おっき~ぃな力が備わっているから。 何をするにも、準備も勉強も必要ないんだよ。
良いも悪いもなくなくなって、 想うがままの方向に進めて 、湧くがまま動けて、話せて 、浮かんだことが向こうから来て 、もう、な~んも心配なく、何が起こっても良くなった。
「どうでもいい=総てが良きこと」
次のこと考えなきゃ!な~んてのも無いんだよね。 また何かが湧いてきてそのまま動いて、 楽しんで。
みんながそんなのだったら、もっと早く、早く人は空を飛べる日がくるかもね。
「どうでもいいけど」 。

●「空」の生き方

まっすぐに立って、「大丈夫だから、そのまま後ろに倒れてごらん」なんて言われても恐いに決まっているよ。
そんな気持ちと同じかも。
頭の後ろに何があるのか、石がころがっいないか、誰も支えてくれないかも・・・不安だよね。 こんな気持ちと同じなんだろうな、と観じます。
何十年も掛けて形成した自分という器。 「大切な、これが私自身だ」そう思うよね。 いつもその器の中から物事を見ちゃう、考えちゃうよね。
それでも、構わないんだ。
ただ、器から出てきたその思考が「本来の自分」からのモノか「経験則」から出てきたものかの違いに気づけたら、それでいい。
「後ろに倒れてみて」と言われて・・・ 「倒れたくない」と観じたら倒れない。 なんの不安も湧かなかったら倒れてみる。
「直観」で生きる。
これかな?

2005.koo